KOREA 2002 | 韓国研修旅行&ひとり旅 6日間 |
TOPPAGE |
名古屋発大韓航空機にて、 2001年春に開港した 仁川(インチョン)国際空港 に到着。 新しい&未来的なつくりだ。 |
総勢21名(日本全国から集まった、入管・帰化・国際業務を手掛ける行政書士)が、インチョン国際空港で集合。
早速 旅行会社のガイドさんに引率され、ツアー開始。貸し切りバスはソウル市内に入り、まずは市内観光。
ソウル中心部の観光名所、景福宮(キョンボックン)へ。
と、ここで、ソウルは7〜8回来てるからもう観光はいいし、そもそもツアー旅行は苦手なので、
いきなり数人を誘って観光をキャンセル。 ツアー外・単独行動に出た。
心配そうな添乗員さんを横目に、 景福宮近くのいつも行く参鶏湯専門店 『土俗村』へ参鶏湯(サムゲタン)を 食べに行ったのでした。 韓国のスタミナ食 参鶏湯⇒ |
←ソウル 中区区役所 ビルの上にはホームページ・アドレスの 看板が大きく。 ITが進んでいる、韓国の役所。 |
|
区役所内部⇒ コンピューターの数が、日本の役所とは 比べものにならないくらい多いです。 |
うちは在日韓国・朝鮮籍(特別永住者)の方たちの帰化申請手続や戸籍整理なども多く、今回の韓国戸籍に関する研修はとても役に立った(名古屋圏では、ニューカマーの人たちはともかく、在日の人たちでは慶尚南道・慶尚北道エリアに本籍のある方が圧倒的に多く、ソウル市近辺は少ないが…)。 韓国ではこの11月より、国民が官公署を訪ねなくてもインターネットを利用して住民登録謄本等、393種類の行政証明書類を申請し、送付してもらえるようになった(韓国は電子政府サービス評価で世界第2位)。尚、これらの書類中、本人確認が必要な事業者登録証明等の160種類の証明書類発給は、プライバシー保護のため『公認電子署名』が必要とされる。 戸籍の情報管理についていえば、同姓同名が多く国民登録番号制(背番号制)が早くから実施されている韓国では、情報公開も日本よりドライに受け止めているような気がした。「不動産の登記簿などは誰でも閲覧できる(この点は日本も同じ)」のに、「戸籍についてだけプライバシーを守るというのは意味が無い」と韓国では考えられているようだ。「今後更に、国家情報も含めて国民に広く公開していく」という説明に、これぞIT立国 と感心した。 |
ソウル出入國管理事務所 |
部署にもよるが、受付はブースに。 カウンター式の日本の入管より、 プライバシーが守られそうです。 |
ソウル入管 会議室での研修風景⇒ 韓国の在留資格(滞留資格・全32種類) につき、レクチャーを受けた。 韓国の人と結婚して韓国に住んでいる 人たちなどももちろん多いが、これからは 日本人もアジアへ出て行く時代。 韓国で韓国の就労ヴィザを取る人も、 今後増えて来るだろう。 |
|
近年、韓国でも、不法滞在外国人の増加が問題になって来ているようだ。韓国の入管・外国人登録のシステムにつきレクチャーを受けたが、大きな疑問が…。 韓国では外国人登録をするとき、入国管理局で新規登録を受けつける という(但し外国人登録の更新切り換えは、市町村役場)。でもこれでは、不法滞在の外国人が新たに外国人登録をすることはまず考えられない。日本の場合、外国人登録は入国管理局ではなく、新規も切り換えも市区町村役場で行う。外国人登録法は、日本に住む外国人数他の把握を目的としているため、必ずしも 在留資格(ヴィザ)を司る入国管理局とはリンクしていない(一応、連絡は行くことになっているが…)。そのため、ヴィザの無い外国人であっても外国人登録をしている場合はけっこう多い。保健や子どもの学校入学、身分証明証が欲しい といった理由から、不法滞在(不法残留や密航などの不法入国)している人でも外国人登録をしている例は多い。 韓国の場合、『出入國管理事務所(入国管理局)』が外国人登録を受けつけるとなれば、不法滞在外国人は怖くてまず出頭しないだろう。もちろん日本でも外国人登録をしていない不法滞在外国人は多いが、日本の方が少しだけ実数把握に現実味がある と思った。 |
汗蒸幕(ハンジョンムク) ↓ |
←蒸し風呂で汗をかき、アカスリでこする・・・。 これはホテルの近く(ミョンドン)なので、日本人専用みたいで高めでした。 店に入ったとき入口で、日本語で僕本人にだけ聞こえるような小さな声で 「○○ウォンです…」という感じで ささやかれた。 でも中に入ると、 お客さんは男女とも皆 日本人(蒸し風呂の部分は混浴です) だから 「あなたは いくらって 言われました?」 とか 「えっ!? そんなに払わされたの!?」 とか、 値段がバレバレ なのだ(笑)。 |
←大元旅館 DAEWON INN (鐘路区唐珠洞 ソウル中心部にあり、交通便利) 名提督・李 舜臣(イ・スンシン)の像から近い。 当時から外国人バックパッカーの溜まり場に なっていた。 以前は吹き抜け?(というより屋根が無かった)の 中庭で、真冬の寒空の下、星を見ながら歯磨きを したもんだが… 今回来てみると 格段に設備が良くなってました。 ⇒11年前はこんな感じでした |
|
ドミトリーはこんな感じです⇒ 1泊 15,000ウォン(約1,500円) 10年前は、3,000ウォン(300円) だった。 シャワー共同は今も。 |
山の向こうは、北朝鮮です。 |
韓国で就労ヴィザを取って会社を 経営している日本人、Y氏と待ち合わせ。 車で、ソウル北方の国境地帯が見える ←展望台まで連れて行ってもらった。 ソウルは本当に、韓国の中でも 北の方に位置しているのがわかる。 『遷都論』が出るのも無理は無い。 |
発展目覚しい、 ソウル江南区へ GANGNAM-GU⇒ 10年前この辺りに来たときは、高いビルなど 全く無かったのに…。 こうした高層オフィス・ビルは、4〜5年前に いっきに建ったそうだ。 |
|
韓国で会社を経営している日本人、Y氏と。 |
僕は仕事柄、日本で働く韓国人の人たちとはよく会う。これからはこういう(駐在員以外で韓国で働く)日本人の人たちも、増えてくるんだろうなぁ…と思った。 |
都会でも田舎でも、どこにでもある。 知らない人に説明するとしたら、どう言ったらいいのだろうか…。 カフェ抜きのインターネット・カフェ とでも言ったらいいのか… (なんか、 力うどんのもち抜き みたいな説明ですみません<(_ _)>) でもみんな、ゲームとかチャットとか出会い系 とかやってるみたい。 |
|
実は名古屋にもPC房がいくつかあるが、どこも韓国人留学生が長時間ゲームとかをやって 入り浸っている。 僕はいつも… 「くぉ〜ら〜!! おまえら 日本まで来て、TVゲームばっか やりおって〜! 韓国の親が見たら嘆くぞ〜!! ちゃんと勉強せんか〜!!」 と、言ってやりたくなるのだが、歳だろうか…(−−;。 |
韓国は道もバスもいいし、時間も正確なので バスでの移動がとても便利。 所要2時間50分で安東に到着。 市場に隣接した食堂で、名物の アンドン・チンダッ(鶏肉の料理)を食べた。 |
日本なら二宮金次郎だろうけど…。 安東の小学校校庭にあった、 李舜臣(忠武公)の像⇒ 李舜臣は、16世紀 亀甲船の船団を駆使して 秀吉の朝鮮出兵を退けた、韓国の英雄。 (亀甲船については、下のおみやげ編を参照) 反対側には、訓民正音(ハングル)の 提唱者、李朝4代世宗大王の像も。 |
←安東から河回村へ行くバスの中で知り合った、 ソウル在住の大学生 ナン君。 レポートづくりのため、河回村を訪れていた。 いろいろと村内を案内してもらった。 「彼女はいない。兵役はもうすぐ」とのことだったので、 僕が「彼女をつくるのは、兵役を終えた後の方がいい」と アドバイスすると、 「どーしてそんなに韓国のこと知ってるの?」と苦笑い。 韓国の人からは、いつもいろんな話聞いてるもんね(^^;。 |
|
河が周りを取り囲むような形で、三方が 天然の要塞になっていた、河回村。 このおかげもあって、外界からの影響が 少なく、古い街並みが残ったそうだ。 |
|
←手前の土俵のようなものは、 韓国相撲を行うところ。 |
|
日本でいえば、萩 のようなところでしょうか… この村に住む人たちの80%は、柳(ユウ)さん。 |
|
↑ 泊まった民泊の中庭。 儒教の考えに基づいた、純韓国風の住居でした。 |
河回村の民泊(ミンバク)に泊まった。 民泊とは、個人の家の一室を宿として 貸し出しているところ。河回村には民泊を している旧家が多いです。 ちなみにこのお宅も、柳(ユウ)さんでした。 |
部屋はこんな感じ⇒ 小さなオンドル部屋でした。 寒い と言ったら、宿の方が熱い 柚子茶(ユザチャ)を持って来てくれました。 |
|
←多くの著名な文人を輩出した 河回村(ハフェマル)。史跡も多く残ります。 朝早く歩くことをお勧めします。 人が少ないし、朝もやがたち込めているのも またいいです。 |
以前、アメリカに住んでいたときに知り合った彼は、アメリカの大学卒業後、『日本の特別永住者』(韓国側から見れば『在外同胞』、『在日僑朋』)の立場を活かし、韓国で働いていたのだ。ソウルはかなり気に入っているようだ。 「在日韓国人の人たちはこういうことが出来るからうらやましいなぁ…」と前から思っていたが… たっぷりと愚痴も聞かされた…(^^; |
キム: 「ここはよぉ… 在日韓国人だって知ってても、 『どうしてお前は 韓国人なのに、軍隊へ行っていないんだ!!』 とか言われるところなんだぜぇ…」 僕: 「ふ〜んん、、、そうなんだぁ…(−−;」 |
そういえば兵役逃れをしてアメリカに帰化したアイドル歌手が、韓国の空港で入国拒否された とかいう話もあったしなぁ…。 軍隊兵役の義務は、韓国ではかなり大きいものらしい…。 (註:制度上、在日韓国人の男性は、韓国に住むとしても一定の手続をすれば兵役の義務はありません。また、渡韓したときの年齢によっても扱いが違います。いずれにせよ、あまり心配する必要は無いようです) |
ソウル市内 パゴダ公園にある、三・一運動のときの記念レリーフ⇒。 1919年3月1日、日本の併合・抑圧的な支配に反対する民衆が、独立を叫んでデモを興した。韓国のジャンヌ・ダルク的な存在、柳 寛順(ユ・ガンスン)という少女も現われたが、運動は日本軍に弾圧されてしまった。 |
帰国の日。ソウルからインチョン国際空港へ行く前に、ちょっとだけ寄り道 仁川(インチョン)の中華街へ
国鉄仁川(インチョン)駅 (ソウル地下鉄から乗り入れ)の前から広がる、 ←チャイナ・タウンの正門。 |
|
チャイナ・タウン内にあった、 華僑小学・中学校 ⇒ 校庭には中華民国(台湾)の国旗が翻っていた。 |
←本場・河回村で買って来た仮面。 これは両班(ヤンバン)のお面。 裏にはちゃんと、『河回』の烙印が押されている。 真ん中が亀甲船(コブクソン)の ペーパークラフトで、上が完成したもの。 他に大量の韓国海苔、韓国果実茶など。 |
|
この子ども用の民族衣装(韓服)⇒ ですが… けっこう高かった…。 でもいくらしたかは、ここでは 書けない。妻に怒られるし…(−−; さてこの韓服だが…いつうちの子に 着せられるかが、最大の悩みだ。 *この翌年、着せる機会がありました。 ⇒韓国総領事主催パーティー参加報告 |
子ども用の韓服(ハンボク)。色使いがきれい。 左は女の子用。右は男の子用。 |