ブラジル・アルゼンチン 新婚旅行 |
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結婚後、アメリカを引き払い、日本に帰国することになった。「日本に帰り、働き始めたらもう長い旅行には行けない。 今のうちに、北米から近いところへ行っておこう!」ということで選んだのが、南米 2カ月半。 だが決して アメリカ からでも 近くはなかった・・・。治安が悪くて困ったが、多くの人に助けてもらった。 それにしても ブラジルは広い。 これだけ行っても、まだ半分ぐらいしか見れていない。 |
アルゼンチンより、いよいよ イグアスの滝(ブラジル側)へ Brazil イグアスの滝 Foz do Iguaçu イグアスの滝は、とにかくすばらしい!の一言です。 本当はもっともっと写真を載せたかったんだけど…。 あとは自分で見に行ってください。 |
ブラジルの国鳥 トゥーカン Tucano つくりものではありません。 これはオーソドックスのだけど、 カラフルのも多いです。 |
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サンタ ・ カタリーナ |
フロリアーノ・ポリス にて Florianópolis 英語の通じる不動産屋を発見! この不動産屋を通じ、サンタ・カタリーナ島内で一週間だけ普通のアパートを借りることが出来た。 ブラジルの人たちも、こんな感じで(週・月単位の)バカンスを楽しんでいるようだ。 ちなみに家賃は 安宿よりは少し高く、中級ホテルよりは安かった。食料を買い込んで、久しぶりの自炊+骨休めだ。 |
サンパウロでは迷わず、ペンション・アラキ Pensão Araki (知る人ぞ知る 安宿)に荷物をおろした(1泊 4REAIS)。この宿には沈没している人が多く(この意味、わかる人にはわかる)、「ブラジルに 新婚旅行(つまり女性連れ)で来た」 と言ったら 変わり者扱いされてしまった。 世間知らずの妻は、いまだこの意味をわかっていない。 |
パラチ Parati サンパウロとリオの中間に位置するリゾート。 古い街並みと自然がマッチしていて、いいところでした。 教会がいくつもあった。上流階級の教会、商人の教会、奴隷の教会 というように別かれていたそうだ。 |
リオ・デ・ジャネイロ Rio de Janeiro コルコバードの丘より ポン・ジ・アスーカを望む。 やっぱり リオはいい! |
フェイジョアーダ Feijoada ブラジル人でもおなかがもたれるので、土曜とかに食べるらしい。 豚の臓物、耳、足などと豆を煮込んだ料理。 昔は奴隷の食べものだったが 今ではブラジルを代表するごちそう。 |
ブラジルはとにかく広い。移動はほとんど夜行バスで。安いし宿代が浮く。でもあとで聞いたからよかったが、けっこう危険だったらしい。 危険な旅をしたことは なんの自慢にもならない。ただ運が良かっただけ。これを見ている人は、なるべく安全なルートを選択してください。 ブラジルに限らず南米は広いので、移動はかなりのネックです。 |
ミナスジェライス州 オーロ・プレット Ouro Preto, Minas Gerais 18世紀にゴールド・ラッシュで栄えた街。石畳の街並はUNESCOの世界遺産にも登録されている。 |
ポルト・セグーロのみやげ物屋。 壁に掛けられているビリンバウ Berimbau はインディオ起源の民族楽器。 カポエイラ Capoeira という音楽性のある、踊るような格闘技にもよく使われる。 苦労して日本まで持ち帰ったが、数年後 子どもに壊された。(ToT) |
サルバドールの中心部 ペロウリーニョ界隈 Pelourinho 右奥の青い建物は、 かつての奴隷市場だ。 |
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Baiana この地方独特の、デンデ油 Dendê で 揚げた揚げ物を売る、バイアーナの女性。 衣装に西アフリカの影響が残る。 |
カンドンブレー Candomblé 見学記 |
カンドンブレー Candomblé を見るため、 夜3時間ほどのツアーに参加した。 カンドンブレーとはそもそも、黒人たちのあいだに脈々と受け継がれてきた、アフリカ起源のシャーマン的な宗教儀式だ。 観光客を乗せたミニ・バンが、サルバドール近郊の ファベーラ (favela スラム街)まで行き、そこで儀式を見る。 ツアー・ガイドは真剣な顔つきで、 ファベーラの中だから カメラや貴重品は持って行かないこと、 住民以外の者が儀式に参加してはいけないこと、などを説明した。 しかし、儀式はかなり やらせっぽかった。わざとらしく トランス状態におちいったり、失神する人なんかもいて、完全に観光化されていた。 芝居がうまければ まだ許せるが、 どうしようもなく わざとらしいのだ。 失神したやつが、 翌日 広場で客引きをしていた。 どうやら一日おきに、失神する役が交代するらしい。 バイーア州 Bahia の内陸部まで行けば、今でも本当のカンドンブレーが見れるらしいが、短い時間で観光客が行くのは ちょっと難しい。 |
サルバドール郊外にある、 ボンフィン教会 (カトリック)Igreja NS do Bonfim の内部。 ブラジルの矢合(やあわせ)観音! (愛知県西部以外の方、何のことかわからず、すみません!) 皆、病気やけがをした体の部分を模した模型を奉納し、願をかける。 |
ブラジル国内で国内線の飛行機を買おうとすると、びっくりするほど高いし、ずっと陸路 (バス) で北まで行こうとしたが、何せ広いし 移動しづらい国。
もう限界だ。「アメリカ を グレイ・ハウンドで回るのと同じようなものだ」 と、なめていたのがいけなかった。 皆さ〜ん!南米に行くときは「エア・パス/飛行機周遊券」を買ってから行きましょうね! |
パラ州 べレン Belém, Pará パス劇場 Teatro da Paz 昔、ゴム農園で儲けた富豪たちのために建てられた。 |
ア マ ゾ ン 川 Rio Amazonas 気のせいか、酸素が濃い ような気がした。 |
巨大アリ! Formiga "gigante" ! クワガタ ではありません! インディオのおじさんの大きな手でもこれだ! ハンモックは、眠るときアリなどに噛まれないための必需品だった。アマゾンでは犬でもハンモックで眠っていた。 |
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Farinha マンジョーカ(キャッサバ)という芋から ファリーニャ という粉(食品)をつくっているところ。 このファリーニャは、いろいろな料理にかけて食べる。 |
ベレンの市場にて Mercado Ver-o-Peso, Belém 左端の種が突き出した果物はカジュー Cajú この種の中に、カシュー・ナッツが入っている。(皆さん 知ってました?) 実は渋いが、絞って砂糖を入れ、ジュース Suco de Cajú にして飲む。 |
ベレンの市場には、見たこともない果物や 巨大魚ピラルクーなど面白い被写体が多い。 だが あまりにも治安が悪いため、うかつにカメラを出せなかった。 アマゾンには フルーツがいっぱい。 açaí, acerola, graviola, maracujá,jaca, sapotí, mamão, cacau, goiaba..... なかでも絶対 試して欲しいのが、クプアスー の アイスクリーム sorvete de cupuaçú! アサイーのジュース Suco de Açaí は椰子みたいな木に鈴なりに成ってる紫色をした実のジュース。チョコレートの原料であるカカオcacau の実のジュースは、以外にもヨーグルトみたいな味だった。 見たことも無い生の果物の他、果物をジュースやアイスにして売っているスタンドは、町中にたくさんある。なかでも、カイルー Cairú という有名なお店では、アマゾンのほとんどの果物をアイスクリームにして売っている。 現地の人に場所を聞いて ぜひ行ってみてください。 |
JABUTI ジャブチ (リクガメ)
ベレンの動物園で見た、地元でジャブチと呼ばれている リクガメ。市場では子ガメが売られていた(言い値で1匹$10ぐらい)。
本気で 買いたい と思ったがやめた。
数年後、日本のペットショップで見た子ガメ(日本ではアカアシガメというらしい…)は、1匹4万円していた。
ベレンから船で2時間ほど。アマゾンの中洲が発達して出来た島、マラジョー島へ向かった。
マラジョー島 Ilha de Marajó 沼地が多く、自然繁殖した水牛がいたるところにいる。皮や肉、乳を目的にした水牛牧場もある。 |
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マングローブの森 Mangroves 豊かな自然の象徴だ。 |
Praia de Marajó マラジョー島はアマゾン河口に位置するため、 海水も混じり波も海のようだった。 遊んでいた子どもたちに、サーフィン・ボード⇒ を貸してもらった。 |
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←Casa de Marajó マラジョー島の民家 土壁の家だった。 |
『人喰われワニ』の話 Jacaré 村人が 野生のワニを 生け捕りにした⇒ が、しかし・・・。 1時間後、ササミになって 村人に分配されていた。 これまたヘビーな話だ。 |
ベレンからリオを経て、サンパウロへ。São Paulo
サンパウロの中心部にある リベルダージ Liberdade は 旧日本人街。 今はどちらかというと 東洋人街。
サンパウロ リベルダージ Liberdade の レトロなレコード屋。 日本人街は昔の日本そのまま。 時間が止まったようだ。 |
サンパウロにて。ブラジルから出国する日。 お世話になり、家にも泊めていただいた 日系1世 (もう80代) のおじいちゃん、おばあちゃんと。 初めて会った僕たちにも、本当に親切にしてくれました。 過酷な労働に耐えかね、コーヒー農園から脱走した人の話。裸足で農作業をしていたため 足のつま先に寄生虫が卵を産みつけ、皮膚を食いやぶって出てきた話。 想像を絶する昔の苦労話が次々と・・・。 こうした、初期の日系移民の苦労があってこそ、今のブラジルでの 日系人の高い地位がある。 |
上写真 真ん中のご夫婦とは、実はこの後も文通が続き、数年後来日した際には、我が家を訪ねてもくれました。 しかし2004年4月、奥さんが脳溢血で倒れ、そのまま亡くなりました。 約80年前、幼少時 家族と共に渡伯した奥さんのような人は、『準2世』と呼ばれています。 ご冥福をお祈り致します。 |
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