イラン滞在記 1992 IRAN Jun - Jul, 1992 (by M) 1992年、旅行中 1ヵ月間滞在し、特に印象に残ったイラン。 日本で誤解されている、イランの素顔を伝えます。 The True Story of The Islamic Republic of IRAN. |
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1992年6月、旅行中インドで細菌性の下痢にかかった僕は、パキスタンで更に症状が悪化。 念のため日本から持って行った抗生物質も全く効かない中、僕はイランに入った。 ちなみに当時のイランだが、全く情報が無かった。今でこそ、近所の本屋でもイランのガイドブックは売ってるし、インターネットでもイラン情報は沢山出て来る。しかし当時は、全く情報が無かった(インターネット自体も無かった)。 東京でイラン人に声を掛け、コーヒーをおごって情報を教えてもらったり、高校時代の歴史の先生が「中東史専攻」と言っていたのを思い出し、わざわざ母校に電話して聞いてみたりした(だが その先生も、「イランについての本は読んだことがあるが、行ったことは無い」との回答だった)。 情報が全く無かったため、今思うと この旅行でも、けっこう見所を逃していたように思う。 『情報』がいかに大切かがわかる。 |
イラン中部の古都、
イスファハンにて。
実は脱水症状でかなりふらふら。
Meidan Emam,
Esfahan, Iran Jun,1992
今は ガイドブック もあるし旅行者もだいぶ増えたようだが、この当時のイランには外国人はほとんどおらず、珍しさもあってかどこへ行っても歓待してもらえた。「外国の情報に飢えていた」 ということも あったのかもしれない。
ただの旅行だというのに、別の町へ着くたびに いちいち警察まで行って外国人の登録をしなければならず、面倒だった。
意外だったのは 多民族?国家だったこと。アルメニア系(キリスト教徒)、トルコ系、クルド系、アフガンのハザラ族系(日本人にそっくり!シーア派で、ペルシャ語も話す)、ユダヤ系の人にも会った。宗教も イスラム教シーア派だけ という訳ではなく、また外見も いろんな顔つきの人がいる。
【ヴィザのトラブル】
各国間には『査証相互免除』といった取り決めがある(日本との『査証相互免除国』一覧はこちら)。要するに観光など短期で就労を目的としないような入国の場合、査証(ビザ)取得を免除しようという取り決めだ。 日本政府は当時、日本でのイラン人の不法滞在・不法就労者が急増していたため、1992年4月、イラン人についての査証免除措置を一時停止した。
国として、ある意味当然の処置だったとは思うが…(^^;。
僕はこの2カ月後、1992年6月にイランへ入った。
何も知らず、パキスタンから入国し普通に15日間の短期滞在ビザ(観光ビザ)はもらえたが、当時インドからの病人だったし、それでなくても 15日間なんて全然足りなかった。それ以前の旅行者情報に基づき、期限間近に普通にビザ延長をしに警察(外国人のあらゆる面での窓口だった)へ行ったら・・・
「日本はイラン人の短期ビザ免除を停止した! である以上、イランも日本人のビザは停止する。 お前はビザが無いのと同じだ! 日本人は出て行け!」
という、非常に丁重な(汗;)扱いを受け、パスポートも投げつけられ、わざわざ 『留置場』まで 見せてくれた(^^;(実際に入れられずには済んだが…)。
査証(観光VISA)は相互免除・相互義務が大原則(例外も有るが)というのを、僕はこのとき 身をもって体験したのだった。
その後 駐テヘラン日本大使館の方に事情を説明した。 国家レベルの仕返しを個人が受けたことについて、かなり同情してもらえた。 大使館にレターを書いてもらい、再申請してなんとかもう15日間の観光ヴィザ延長が出来た。(このときに限らず、中東では日本大使館・総領事館の方々になにかとお世話になった。欧米諸国や東アジアを旅していても、日本大使館のありがたみはあまりわからないが…)。
結局、イランには丸々1カ月間滞在し、国境を越えてトルコ東部へ抜けた。これ以上はどうしても、ビザの延長が出来なかったのだ。
それにしても…
イランに限らず、シリアでも同じようなことがあったが、中東・イスラム諸国ではこの手の国家的仕返し(ハムラビ法典以来の『目には目を 歯には歯を』)が多いと思う。 少し大人げないんじゃないか…? ツアー旅行者はともかく、バックパッカーはもろに影響を受けるし、勘弁して欲しいものだ。
官憲は嫌な国だったが… 一般市民には最高にホスピタリティがある国、イラン
イランでお世話になった家族 Iranian Families
ちょうど 1ヵ月滞在したが、うち ホテルに泊まったのは5日ぐらい。あとは全て、現地で出会った人が泊めてくれた。
旅人に 親切にする習慣もイスラムの教えから来ている。 「原理主義 」 だけがイスラムではない。
どこの町でも、脱水症状で衰弱しきった 見知らぬ外国人を家に泊め、病人食をつくってくれ、何の見返りも要求せず、お金も絶対に受け取ろうとしなかった イランの人たちに感謝。
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日本でのイランのイメージ 麻薬の売買 や 重婚の問題 など、確かに 一部の在日イラン人の問題 はある。が、そのために日本での イラン全体のイメージが悪いような気がしてならない。確かに、悪いイラン人(本当に悪い!)は日本におり、彼らに同情の余地は無いと思う。 しかしそのために、他の大多数の真面目な在日イラン人たちが、様々な点で不利益を受けているのも事実。イラン人の友人も多くいるが、彼らは自分がイラン人である ということを、日本ではあまり言いたく無いようだ。
ちなみにアメリカの中では、イラン系の人たちには “お金持ちで高学歴の優秀な人々” といったイメージがある。これは、79年のイスラム革命前後、多くの富裕層がイランからアメリカに渡ったことが原因のよう。
一部の人たちを見て、その国全体のイメージが決まってしまう…。よくあることですね。
その後 西北部・タブリーズ Tabriz から国境を越え、トルコ西部のドゥバヤジットへ入った。
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