TOPPAGE | 在日コリアン(在日韓国籍・朝鮮籍の人たち)とは? 〜歴史に翻弄されて、今の状況に辿り着いた〜 |
私は以前から、『移民』や『国を越えた人の移動』というものに強い感心があり、例えばブラジルやアメリカに行っても、1世の日本人のおじいちゃんから『昔の移民の苦労話』を聞いたりするのが好きでした。私の父は、満州移民の子として満州で生まれ、日本の敗戦後家族と共に引き揚げて来ました。私自身も、アメリカに3年だけ住んでいたこともあり、数十年前に異国へ渡った先人たちの 想像を絶する苦労 というものを、なんとなく感じ取ることが出来ました。
私の事務所では、日頃より在日韓国・朝鮮籍の方々の帰化申請、韓国戸籍の整理・取寄せ・翻訳 といった仕事を手掛けております。特別宣伝もしていないのにご紹介で仕事が増えていくことにはとても感謝しております。気のせいか在日の方々(帰化された方であっても)には、最初は少し警戒されていても、一度信頼してもらえるととことん良くしてくださる『人間関係を重視する人』が多いように思います。これも多分、今まで歩んで来られた歴史的背景から、『人との繋がり』を重視されているのでは…と思います。
2003年7月以降、『特別永住者』の方々については、それまで帰化申請に必要だった『帰化の動機書』を提出する義務が無くなりどちらでもよくなりましたが、それまでは「動機書原案」の作成のため、かなり詳しく“帰化したい動機”等につき、お聞きしておりました。ときに、帰化申請希望者宅へおじゃまし、申請者のご両親などからも、一族渡日の経緯や戦後の混乱のお話を伺う機会も得ました。この際のヒヤリングの中で、朝鮮半島から渡って来られた在日1世・2世の方々が多く味わって来た苦労・差別のお話をお聞きし、「通常『移民』に苦労はつきものだが、『移民』とも言えない在日の歴史は、よりドラマチックだなぁ…」と思うようになりました(ドラマチックという表現は不謹慎かもしれませんが…)。ちなみに、今は『動機書』作成義務がなくなったため、この辺りについての突っ込んだお話が聞けなくなってしまい、私はやや不満です(^^;。
仕事にも関係があり、またそうでなくても凝り性の私は、在日韓国・朝鮮(在日コリアン)の歴史について書かれた本を多く読み、またクライアントでもある在日の方々から、沢山のことを教えて頂きました。
戦前の日本から満州への移民は、多くは国策のため、『新天地』と聞かされ意気揚揚と(実際は疲弊した農村出身者が多かった)満州へ渡りましたが、在日のルーツの人たちは違います。日本人により、様々な方法で所有していた農地等を取り上げられ、朝鮮半島での経済的基盤を失い、家族を養うために仕方なく日本へやって来ました。また、植民地とされていたため強制的に労働力として狩り立てられ、大嫌いな(であったはずの)日本へやって来ました。戦前・戦中を通じ、在日朝鮮人の数が急激に増えたのは太平洋戦争中だそうです。日本人の男子が多く戦場へ行き、炭鉱などでの労働力が不足しそれを補うために連れて来られた という要素があったようです。祖国の植民地支配を続ける日本が、その権益を守るために戦争を続行しており、それを“銃後から支える”ことになるのですから、心中穏やかならぬものがあったはずです。日本は1910年に朝鮮を併合しておきながら、同等の国民(大日本帝国臣民)としての扱いはせず、戸籍も朝鮮戸籍として日本(内地)戸籍と区別、差別しました。在日の人たちには、この頃の創氏改名や日本語教育の強要、関東大震災のおりの朝鮮人虐殺などが、重い歴史として伝わっています。
しかし、今日本にいる在日の人たちのルーツは、必ずしもこの頃から日本に定住していた訳では無いようです。以前は、いわゆる『強制連行』により日本へ連れて来られて来た人たちとその子孫 という印象を持っていましたが、そのまま定住して今にまで至っている というケースは、むしろ少数派のようです。
1945年8月15日(韓国では光復節)、日本の敗戦により朝鮮半島は解放され、当時日本に残っていた朝鮮人(戦前は朝鮮戸籍の日本人)の人々は1947年の外国人登録令交付により日本の中で『外国人』とみなされるようになり、朝鮮籍になりました。
話はそれますが、現在までこの『朝鮮』を保っている方々がおられます。在日の方々の中には、外国人登録の国籍欄に、『朝鮮』という国名が入っていることがあります。この『朝鮮』を、多くの人が(在日の人たちまでもが)、北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国と混同していることがありますが、前述の1947年の外国人登録令交付時、朝鮮半島(韓半島)にはまだ大韓民国も北朝鮮も成立していませんでした(共に、1948年成立)。つまりこの時点では、日本人で無くなった朝鮮半島出身の人々という意味で、『朝鮮』と書かれているからといって、必ずしも『北朝鮮国籍』という訳ではありません。その後の日韓条約締結以降、在日の人たちの中で朝鮮籍から韓国籍に変更する人たちが増え、多くの人が大韓民国を国籍として選び『在日韓国人』となりました(もちろん、かつて「地上の楽園」と言われた『北』を意識して選んだ人も多いですが)。
以前、外国人登録が『朝鮮』となっている ある在日の方から、「私は生まれてこのかた、『選ぶ』ということをしたことが無いんですよ」と聞かされたことがあります。こういった場合、外国人登録上の『朝鮮』は、必ずしも国名を意味してはいないと思われます。戦後から今に至るまで、大韓民国を“選ばなかった”だけで、思想や南北の支持・不支持に関わりなく、終戦時からの朝鮮籍の人々 ということが出来ると思います。
ちなみに、日本にいる在日韓国・朝鮮人の人たちの故郷は、ほとんどが朝鮮半島南部(現在の韓国国内)にあります。
大二次大戦終了後、朝鮮半島はアメリカとソ連に分割して信託統治されました。単独占領だった日本は、ある意味幸運だったと言えます。イデオロギー対決のため、日本の植民地支配から解放された後もすぐに戦争が始まりました。
そして、こうした混乱の中、多くの朝鮮半島の人々(主として半島南部出身者)が、日本へと渡って来ました。過去に日本に住んでいた人もいたでしょうし、親戚を頼って来た人、全く初めてであった人、様々だったでしょう。
1948年には済州島で「済州島事件」が起こり、虐殺の中、多くの人たちが済州島から船で日本へと渡って来ました(『済州島事件』についてもっと知りたい方はこちらをどうぞ)。現在も大阪には、済州島出身の人たちが多く集まり、大阪の在日の人たちの多くが、済州島系だということです。ちなみに私のいる名古屋は、慶尚南道・北道出身の方が多く、実際戸籍を扱っていても7割ぐらいは慶尚道かな…と思います。残念ながら、済州島系の方が名古屋には少ないため、そうしたお話(済州島事件とその後の混乱等)を聞けないのが残念です。(註:私は日本人なので特にタブーとは思いませんが…。『済州島事件』は、分断国家が出来ることに反発した人たちが『共産主義者』として虐殺され、住民間で報復を繰り返した事件で、韓国の人・在日の人もあまり話したがらない悲惨な事件です。)
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済州島へ行って来ました!(2003年10月)⇒済州島子連れ旅行レポート(お暇なときにどうぞ) 韓国関連のページへ
在“中”コリアン(?) 中国内朝鮮族が多く暮らす地域です(2004年2月)⇒
中国吉林省延吉(朝鮮族自治州)、遼寧省丹東レポート
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INDEX 行政書士・社会保険労務士 名古屋国際綜合事務所 外国人との共生社会へのプロセス
帰化申請について思うこと 帰化後の氏名について思うこと 知っておきたい国際結婚の手続と知識
遺言と相続について 産業廃棄物業許可申請について
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相互リンク:在日本 大韓民国民団三重本部(在日韓国人の人たちの団体、『民団』三重県本部のHP)