この旅行記は、所属するNPO法人『南国暮らしの会』会報に掲載されたものです。




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バリ島・子連れ 身おも 旅日記

Apa kabar? お元気ですか?
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 2002年夏、妻のおなかの中にいる3人目の子も生育が順調のようだし、我が家では「妊娠安定期を利用してどこかへ行こう」ということになった。2人目の子(長女)がもうじき2歳になろうとしていたことも、理由のひとつだった(南国暮らしの会メンバーの方々はあまり関係無いのでご存知無いと思うが、子どもの飛行機チケット代は2歳の誕生日を境にぐっと上がるのだ。従って我が家では、いつも妊娠・出産する度に2年後までの大まかな旅行計画・休日確保を目論んでいる)。また、それでなくとも前回の家族旅行・中国から1年半が経ち、既に旅の禁断症状が出ていた僕たち夫婦は、早速行き先の選定に取り掛かった。ただ、小さい子どもも2人いるため、行き先はどこでもいいという訳ではない。飛行時間が短い、妊娠安定期+長女の2歳直前 に当たる9月〜10月に気候が良い、衛生的、安全、時差が少ない(子どもは体内時計が正確なので)、現地での移動が少なくてすむ…といった条件から割り出し、行き先はバリ島 に決定した。
そもそもバリを始めアジアン・リゾートは、それまで敬遠していた。旅行だけなら(特に大人だけの旅行なら)僻地の方が断然面白いと思っていた。しかし、我が家には小さい子もいるし、また 将来(老後)の南国移住も考えていたため、視察も兼ねてバリへ行くことになった。何を隠そう、僕は将来、南国で「熱帯園芸」をするのが夢なのだ。僕がトロピカル・フルーツを沢山植えて、妻はコーヒー農園の近くで養蜂をやりたいそうだ。コーヒーの花から出来た蜂蜜は、本当にコーヒーの香りがするのをご存知だろうか。コーヒー農園も少しついた果樹園などがあれば、死ぬまで夫婦円満に暮せるだろう。しかし東南アジアなど、外国人は土地を買えないところ、所有の制限があるところが多い。その情報欲しさに「南国暮らしの会」に入った と言っても過言ではない。

 出発前、一応 産婦人科のお医者さんに「旅行へ行ってもいいか?」というお伺いをたてた。おなかの胎児は順調だった。「行くなって言ってもどうせ行くんでしょ…?」と、医者は少しいじけていた。
次に、おじいちゃん おばあちゃんの説得にかかった。近くに住む妻の両親は(註:何を隠そう、僕はほとんどマスオさんなのだ)、『南国暮らしの会』メンバーである年配の方々のように先進的ではない。大体、親がタイとかに別荘でも買って移住してくれれば、僕たちがこんな苦労をしなくてもいいのだが…。「バリは近いし、観光地だから衛生的」「動き回らずにのんびり過ごす」と良いことばかりを話し、今までの旅行・子連れ旅行の実績をアピールして、なんとかおばあちゃんの承諾を得た。おじいちゃんの方は、いつも事後承諾だ。どうせ認めるはずがないので…(どなたかうちの親を説得してください!!)。
早速荷造りを始める。バリだと夏物で済むので、服は意外と少なくて済んだ。小児科病院でもらった薬、長女の紙オムツ(1日2枚で計算)、折りたたみ式ベビーカー、衛生的に保つためのウェット・ティッシュなどを準備した。
出発の前日、たまたま名古屋の名古屋国際センターというところで『インドネシア・フェスティバル』をやっていたので、情報を仕入れに見に行った。案の定というか、奥さんがインドネシア人で、もうすぐインドネシアのマナドへ移住する知人のK氏にも会った。バリの情報も沢山もらった。バリは名古屋からだと、帰国時の便が夜とても遅く子連れには心配なのだが、そんなときは空港近くにもある日系ホテルで半日分を払って夜までステイとかも出来るそうだ。
僕が主催している名古屋の海外個人旅行愛好者サークルのメンバー(女性)が1人、「ついでにバリに行きたい」ということで、最初の4日間だけ旅に加わることになった。かくして、僕、妻、長男(5歳)、長女(1歳11カ月)、旅サークルのIさん、それに妻のおなかの胎児(妊娠7ヵ月)を乗せ、名古屋空港発デンパサール行きのガルーダ機は飛び立ったのだった。

7時間後、バリのグラライ国際空港に到着。ルピーに両替し、変な日本語の看板を横目に見つつ、空港からタクシーに乗り込んで1時間半。やっとウブドに到着した。ちなみにタクシーは、エアコン付きの車を探した。9月後半のバリの気候は過ごしやすくとてもいいのだが、窓を開けていると東南アジアらしい排気ガスが車内に入って来て子どもに悪いからだ。

ウブドに着いたとき、もう日は暮れていた。宿はインターネットで予約しておいた、Lumbung Sari Cottages(1泊US$35)へ。JL Monkey Forest(モンキー・フォレスト通り)に面した、便利な場所にある。ホテルのすぐ近く、ウブドのカフェ・ワヤンCafe Wayan で夕食を取りつつ、バリ在住の若い日本人に情報をもらった。子どもたちは飛行機の中ではよく寝てくれていたが、やはり疲れていたのだろう。バリ料理を食べるだけ 食べて、すぐに寝た。

翌朝、ウブドの朝市Pasar Pagi へ行った後、ホテルや寺院の回りとかにいる、個人のドライバーと交渉した。運転手付きの車を半日いくら という感じで交渉は成立し(金額は忘れたが、言い値の6割ぐらいまでは値切れる)、まずはウブド郊外の棚田(ライス・テラス)へ向かった。



(上)バリの棚田風景

棚田の近くで食事し、お茶を飲んだ後、今度はスーパーマーケットへ出掛けた。ウブドのスーパーは外観こそ3日でつくったような感じの建物だったが、店内は大きく、中で売られているものは先進国と比べて特別見劣りしないものばかりだった。フルーツもカットされたものがパック詰めで売られていたりして、さすが観光地だ。インドネシアの他の離れ小島だったら、こうはいかないだろう(大体そういうところでは、カットされている果物自体が危ない…)。前述の市場(パサール)と組み合わせれば、生活必需品はほとんど揃うのではないか。

その後、大人3人、子ども2人でチャーターしていた車を降り、ホテルでゆっくり過ごした。ホテルはもちろんプールも付いていて、リゾート気分を味わえる。他のホテルでも思ったが、バリは安価にリゾート気分を味わえるところだ。例えばホテルのプール・サイドの長イスで寝そべって飲むフルーツ生ジュースだが、タイ辺りで同じレベルのことをやろうと思うと、けっこう割高になるのでは?(安い店だと生ジュース自体が危ないし…)。バリ滞在中、生フルーツをバリバリ食べ、生ジュースをガンガン飲んでいたが、全員最後までおなかをこわさなかった。

ウブドには4日間いた。朝は市場へ。昼は郊外を観光したり買物をして、昼食・夕食はレストランで食べ、夜は寺院などで催される伝統舞踊のショー(『ラーマーヤナ』などヒンドゥー教神話を題材にしたものが多い)を見に行ったりした。ウブドのレストランは、観光地のせいかレベルが高かった(バリの他の場所と比べても)。お洒落なお店が沢山あり、田んぼの前や蓮池の前など、眺めのいい場所で食べられるカフェなども多くあった。バリはここに限らず英語が比較的通じるが、ウブドには24時間対応の、英語の通じるクリニックもあった。本当に機能しているのかは疑問だが、子連れには少し気休めになる。各国語対応のインターネット屋さんや欧米人個人旅行者が集まるカフェなども多いが、伝統芸能や文化も随所で見られるし、バンコクのカオサンやサイゴンのファングーラオほど俗っぽくも無く、とても気に入った。

ちなみに、僕は 妻とIさんの女性2人に子守りをお願いしていろいろ行きまくろうかと考えていたのだが、女性2人の方は逆に 僕に子どもを任せてバリ・エステとかに行くつもりだったらしい。

4日目、郊外(バリ中南部)のバリ・バードパークや爬虫類パークへ出掛けた。カラフルな野鳥類や、コモド・ドラゴンをはじめとするインドネシアの爬虫類を沢山見ることが出来る。爬虫類パークでは年老いたコモド・ドラゴン(コモド大トカゲ)に触ることも出来、子連れにはお勧めだ。園内でスタッフがうちの子の頭にイグアナを乗せて来て、デジカメで撮り始めた。案の定、出て行くときにうちの子の顔が写し出されたTシャツを見せて来た。バリなのに、Tシャツ1枚18ドルだという。親バカ心理を突いて来ているのか、「絶対に値引きはしない」という。「こんなもん買う バカ親がいるのか…」とか思っていたが…。最後にはとうとう買ってしまった。⇒こちら

ここで、一緒に来ていた旅好きサークルのIさんと別れた。彼女は仕事のため一足先に帰国。それまで大人3人と子ども2人(5歳と1歳11カ月)だったが、ここからは大人2人・子ども2人のマンツーマン体制だ。妻は妊婦だし、荷物も観光中に眠った子どもも、僕が全部持つことになる。長男を妊娠中のとき(この旅行の6年前)にも、やはり安定期に合わせてベトナムやカンボジアなどを旅行したが、そのときはまだ子どもがいなかったし楽だった。今回はプラス子どもが2人 いるのだ。子どもはおなかの中にいるときよりも、出て来たあとの方がずっと大変だ。やはり、チャイルド・シート付きレンタカーで動き回れるオーストラリアとかにしといた方が良かったかな…と、一瞬思った。

その夜は、10カ月に一度のバリの大祭『オダラン』にぶつかっていたため、気合いを入れて見に行くことにした。妻と長女はホテルで休み、僕は5歳の息子と2人で出掛けた。オダランは聖なる祭りのため、それなりの礼を取らねば会場である寺院内(ウブドは中心部のサラスワティ寺院)にも入場出来ないことになっている。従って、観光客も男性は「サプッ」、女性は「サルン」というバリの衣装(巻きスカートのようなもの)を腰に巻きつけて入場する。単に布切れを巻いている人も多かったが、うちは気合いを入れて、全身バリの民族衣装で決めて行った。大人用はレンタルで、子ども用(男の子用)はパサールで購入したが(150,000ルピー)、頭に巻くもの、上半身のシャツ、巻きスカートと3つで構成されている。



(上)『オダランの夜』バリの民族衣装です。

 しかし、『オダラン祭』には気合いを入れて行ったものの、寺院に入って祭りを見学し始めると、息子は10分もしないうちにうとうととしだした。バリの伝統音楽でよく使われる『ガムラン』の響きはアルファ派とかで、よく眠りを誘うらしい。やがて息子は深い眠りに入り、僕は熟睡する息子の横で、しばらくオダランの様子を見ていた。

 バリは観光地だから、住民もそれを意識して伝統的な風習・生活を続けている(見せている)と少し思っていたが、バリの人たちは決して観光のためではなく、生活に密着した宗教、伝統として、大真面目に祭りに取り組んでいるのを感じた。ウブドでのホテルは小さいところだったが、ホテルのスタッフが毎朝庭の片隅にある祭殿に御供えをしているのを見ても、少しもやらせっぽいところがなく自然だった。あらゆるものに神が宿る といわれているバリでは、市場でも御供え用の供物セット(花や葉を折り込んだものなど)がいろいろと売られていた。あぁいう「無駄?」を何百年来、強制もされないのに続けているあたりが、バリの人気がある理由かも知れない。

 1時間半ほどオダラン祭を見ていたが、息子はガムランの響きのせいか 完全に熟睡していた。10カ月に一度の伝統芸能祭を見せたかったのだが…。その後、息子を背負ってホテルまで帰った。夜、ホテルの近くでゲッコーが鳴いていた。地元でトッコーとも言われるトカゲの一種で、「ゲッコー(トッコー)」と鳴くことからその名が付いたという。鳴き声を11回続けて聞くとラッキーなことがあるそうだ。

 翌日、ウブドを離れる日だ。ウブド寺院前でドライバーたちと交渉して 車をチャーターし、まずはメングウィにあるタマンアユン寺院に立ち寄る。水堀に囲まれた寺院で、敷地内にはタマリンドの樹が植えてあった。その後、高原部のチャンディクニンへ向かった。高原地帯へ行ったのには訳がある。ここから近いところにある、バリのコーヒー農園を訪ねること、果物で有名な市場へ行くこと、バリの湖と山を見に行くこと。ウブドから1時間ちょっとだが、この辺り標高も高く、少し涼しい。

 ブラタン湖近くのホテルに決めて、早速、近くの市場へ行った。なるほど、いろんな種類のトロピカル・フルーツがある。マンゴスチン、タマリラ、マンゴー、サボー、ランブータン、サラッ(こぶし大のアルマジロのような外観で、中身は固めのパイナップルのような味)、パッション・フルーツ、ジャックフルーツ(ドリアンを一回り小さくしたようなもの)、モンキーバナナ…。日本ではお目にかかれないような果物も山積みにされている。タイでもブラジルでもどこでもそうだが、トロピカル・フルーツは本来、一番暑い時期の方が出回る種類は豊富だ。しかしこの季節(9月後半)でも、いろいろな種類が市場に出ていた(さすがに、ブラジル・アマゾンに比べれば種類は少ないが…)。ここに来るまでも、寺院や個人の家の庭などにランブータンやカシュー(カシューナッツ)の樹が生い茂っているのを見た。本当に羨ましい環境だ。
 市場でフルーツを買い込み、部屋に戻ってみんなで食べた。普段見ることのない果物なので、子どもたちもかなり興奮していた。

(下)高原地帯はフルーツも充実しています。(写真の一番下は、コーヒーの実が付いた枝)



 ちなみにフルーツ試食後の種だが…。その後どういう訳かバッグにまぎれ込んで(汗;)、日本まで来てしまった。子どもたちと一緒に植えたが、もちろん日本では育たない。 

 ちなみにこのチャンディクニンの辺り、意外にムスリム(イスラム教徒)も多い。モスクもあるし、「ワルン・ムスリム」といわれるイスラム教徒用の食品や雑貨を売る小店も多い。バリといえばバリ・ヒンドゥー一色と思われがちだが、ちゃんとムスリムもいる。

 その後、近くのムンドゥックにあるコーヒー農園を訪ねた。傾斜地のコーヒーの木々を眺めながら、バリのコーヒー(地元では『コピ・バリ』という)を飲んだ。その後、コーヒー収穫後の 焙煎したり 豆を挽いたりするスペースを見学。豆はアラビカ種とロブスター種の両方を使っている。様々なコーヒー農具があり、面白かった。樹の高いところに成っている実を収穫するときに使う棒とか、実から取り出したコーヒー豆を天日で乾かすときの熊手のような道具とか、焙煎するときのロースターとか、挽いた粉を均一に揃えるためのふるいとか、興味の無い人には全然面白く無いと思うが、前述のとおり我が家はコーヒー園に興味があるので、とてもいい体験だった。



(上)ローストした豆を杵で突いている。(杵を持たせてもらったが、けっこう重かった)

 飲んだコーヒーも美味しかったので、いくらか買った。バリ・コーヒーはスーパーなどでもよくお土産で売られているが、安い物の中にはトウモロコシなどを粉にして混ぜ、ごまかしているのもあるらしい。

 ちなみに僕はコーヒー好きで、家にはエスニック食材店で買う各国のコーヒーや、旅先で買って来たコーヒー道具(ベトナム式コーヒーのフィルター、トルコ式コーヒーのイブリック、ナポリ式コーヒー器具等々)が揃っている。今は輸送手段が発達しているため、日本でも新しいコーヒー豆や粉が買える。しかしつくづく思うのだが、日本の喫茶店とかで飲むコーヒーは酸っぱい(よほどの専門店は別だが…)。よく、「酸味がある」などと表現されるが、コーヒー産出国のブラジル人に言わせれば、「コーヒーは苦くあるべきで、酸っぱいのは古いだけだ」そうだ。僕もそう思う。明治の頃か、輸送手段が今ほど多くない頃、日本にやって来たコーヒー豆は船での長旅を経て(しかも赤道直下を通過して来たりして)すっかり酸化していたのだろう。「コーヒーとはこういう(酸っぱい)もの」と味を覚え、インプットしてしまった日本人は、酸っぱいコーヒーを好むようになったのかも知れない。僕は普段から日本でも コーヒーを飲むときはなるべくスターバックスを探している。

 コーヒー農園の木の枝に、まだ真っ赤なコーヒーの実が付いていた。コーヒーの実は、その色かたちから『コーヒー・チェリー』と呼ばれている。実は甘いので、蟻が群がっている。
 この辺り高原地帯のため、日中は暑いが 夜はやはり少し肌寒く、家族でくっついて眠った。

 翌朝、ブラタン湖のボートに乗り、対岸のウルン・ダヌ・ブラタン寺院へ湖を突っ切って向かった。寺院見学後、今度は 南部ビーチの方を目指した。

 途中、またウブドに立ち寄った。特に美味しかった バタン・ワルBatan Waru というレストランで昼食(シダの葉先のサラダ、チキンとパパイヤをバナナの葉で包んで蒸した料理 等々)を取りながら、どこに移動して泊まるか 作戦を練った。



(上)バリ料理のレストラン Batan Waruにて

 「南西部のサヌール Sanurというところが良さそうだ 」ということで、早速 サヌールへ向かった。サヌール到着後、スワスティカ・バンガローに宿を決め(一部屋US$35)、その後ビーチへ出た。どこかのホテル(サントリアーニ・ホテル?)のプライベート・ビーチだったが、宿泊客でなくても普通に遊べる。パラソルとシートも借りて、フルーツ・ジュースを飲みながらのんびりした。子どもたちは、一生懸命 砂浜で貝殻やヤドカリを集めていた。翌日には子どもにせがまれて、グラスボートにも乗ったりした。
 サヌールは古くからヨーロッパ人のリゾート地だったらしく、小さい街なのにドイツの領事館などもある。欧風の家などもある一方で、ビーチでもホテルのプライベート・ビーチ域内から少し外れると、地元のおばちゃんが「サテ」を焼いて売っていたりする。

 そのまた翌日、今度は高級?と付くリゾート地の ヌサ・ドゥア Nusa Dua へ移動した。ここは観光客のいる観光エリア(ホテルやショッピングセンターが充実)と、地元バリ人の街とが完全に分けられていて、観光エリアはハワイのショッピングセンターのようなところだ。

もう明日は帰国日だし、それまでの旅程で予想よりお金がかからなかったため、奮発してUS80のホテル(ラマダ・リゾート)に泊まることにした。よく考えると80ドルと大した金額ではないのだが、かつて インドで150円、エジプトで200円の宿に泊まっていた僕にとっては、海外で80ドル(9,000円近く)のホテルに泊まるなど、エンパイア・ステートから飛び降りるくらいのことなのだ。 

「バリはホテルが安いから、いいところに泊まった方が得ですよ」と、いろんな人から聞いていたが、本当にその通りだと思った。他の国で(他の東南アジアと比較しても)同じレベルのホテルに泊まろうとすると、かなり高くなるに違いない。奮発(?)してよかった。ホテルのプール・サイドでくつろぎ、プール・バーでカクテルなんか頼んじゃったりして…。一瞬、子持ちだということを忘れた。

帰国間近なので、ヌサ・ドゥア観光エリア内のショッピングセンターでお土産を探した。僕は 家に飾るバリのお面、影絵の人形、子どもの民族衣装やお香なんかを探していたが、妻は籐のランチョン・マットとか、テーブルクロスとか 箸なんかを探していた。どうして女は、こうも現実的なのか…。土産屋は大きいのに、子ども(女の子用)の民族衣装はなかなか見つからなかった。売り場のお姉さんに聞くと、「そういうものは街中のデパートで売っている」 との回答だったので、早速 観光エリアから出て街中へ向かった。街へ出ると、観光エリアとはまた違った活気があって面白い。デパートでお目当ての民族衣装も手に入った。

(下)女の子用・バリの民族衣装

 僕は本来 値切るのが上手なのだが、子どものものを買うときは何故か言い値に近い金額で買わされたりしている。親バカ・オーラが漂っているのだろうか…。この民族衣装も、実はけっこう高かった。妻には半分くらいの値段で申告し、妻と子の買物にも付き合った。

 翌日(帰国日)、朝からビーチ、その後ホテルのプールで遊んだ。帰国便は真夜中発なので、チェックアウト後どこで過ごそうか…と、子どももいるし心配だったが、ホテルのスタッフに聞くと「空港で待つのは大変だし、ロビーのソファで休めばいい。プールも使っていいし、シャワーも空いている部屋で使っていい」とのことだった。日本人は夜中便で帰る人が多いらしく、ホテル側も慣れているようだ。

 夜9時過ぎ、車を呼んで空港へ向かった。子どもたちはもう、寝息をたてていた。バリは思っていたより大人も子どもも楽しめ、もう少し長く滞在してみたい と思うほどだった。出来ればまた 今度は赤ちゃんも一緒に、家族5人で再訪したい と思ったのだった。(完)

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